広島高等裁判所 昭和44年(ネ)354号 判決 1971年4月08日
控訴人
岡崎恒夫
ほか一名
被控訴人
伊勢龍三
主文
原判決中控訴人岡崎恒夫敗訴の部分を次のとおり変更する。
控訴人岡崎恒夫は、被控訴人に対して、金四〇万一、六五〇円の支払をせよ。
被控訴人の控訴人岡崎恒夫に対するその余の請求を棄却する。
原判決中控訴人株式会社安芸製作所敗訴の部分を取り消す。
被控訴人の控訴人株式会社安芸製作所に対する請求を棄却する。
被控訴人と控訴人岡崎恒夫との間に生じた訴訟費用は、第一、二審とも同控訴人の負担とし、被控訴人と控訴人株式会社安芸製作所との間に生じた訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決中控訴人等敗訴の部分を取り消す。被控訴人の各請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張と証拠関係は、次の一、二、三のとおり附加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。
一、被控訴代理人は、次のように述べた。
控訴会社の営業所は、一棟の建物の一階にあり、その建物の階上に寮があり、控訴人岡崎の居室もそこにあるので、控訴人岡崎は、朝、その居室を出てから、夕方、帰るまでが控訴会社のための勤務中ということになる。本件事故は、控訴人岡崎の勤務中の出来事である。そして、控訴人岡崎が、日常、同人所有の乗用車を控訴会社の仕事に関して使用することは、会社の利益になることであり、控訴会社も、これを容認していたものであるから、控訴会社には、本件事故について、自動車損害賠償保障法第三条による右自動車の運行供用者責任がある。
二、控訴代理人は、次のように述べた。
(一) 控訴会社には、本件事故による損害賠償の責任はない。すなわち、控訴人岡崎は、ブルドーザーの運転手として、工事現場における仕事に従事するのが職務であるから、自宅(寮)と工事現場の間を往復して通勤するために自家用車を使用していたのであるが、終業後、帰宅の途上で、本件事故を惹起したものであつて、本件事故は、控訴会社に関係がないのである。控訴会社が控訴人岡崎に自家用車で現場に行くように指示したのは、途中交通混雑のため、バスを利用したのでは時間的に無駄が多いからであり、時々、控訴会社の他の従業員を同乗させるのも、便宜的なものでしかない。控訴会社は、従業員に対して通勤費を支給しているが、従業員の自家用車のためにガソリン代を支払つたことはない。このようなわけで、控訴会社は、本件事故について、控訴人岡崎の自家用車の運行供用者責任はないのである。
(二) 仮りに、控訴人等に本件事故による損害賠償責任があるとしても、原審において主張したような趣旨の示談の成立によつて、すでに解決ずみである。
(三) 仮りに、右示談契約が右のような趣旨のものでないとしても、被控訴人には、交差点で直進するに際し、控訴人岡崎の乗用車がその交差点においてすでに右折しているにも拘らず、その進行を妨げ、道路交通法第三七条第二項の注意義務を怠つた過失があるから、本件損害賠償の額を定めるについて斟酌すべきものである。
(四) なお、被控訴人は、昭和四三年六月頃、本件事故に関し、自動車損害賠償責任保険の保険金一三万円の支払を受けた。
三、〔証拠関係略〕
理由
先ず、控訴人岡崎恒夫に対する請求について判断する。
控訴人岡崎恒夫が、昭和四二年七月二八日午後六時四〇分頃、同人所有の軽乗用自動車を運転して、広島市庚午北町国道二号線を草津方面から己斐方面に向つて進行し、新旭橋交差点に差しかかつた際、自車を、被控訴人が運転して反対方向から来た原動機付自転車に衝突させ、その結果、被控訴人に傷害を与えたこと、本件事故が、控訴人岡崎恒夫において、前方注視を怠り、地上の指示標から外れ、被控訴人の進路に向つて右折した過失により惹起したものであることは、当事者間に争いがない。
そして、〔証拠略〕によれば、被控訴人が本件事故により門歯欠損、頭部外傷Ⅱ型、むち打症、右腕関節捻挫、右足関節捻挫の傷害を負い、事故当日の昭和四二年七月二八日から同年八月一四日まで入院し、引き続き同月一五日から昭和四三年三月二三日まで通院して医師の治療を受け、更に、昭和四三年四月二四日から同年六月一三日まで入院または通院して治療を受け、一応治癒の診断を受けたが、右手のしびれ、後頭部疼痛の後遺症を残し、右症状は、固定的となって、その後もなお医療を欠かされない状態でいることが認められ、右認定に反する証拠はない。そこで、損害の額について考えてみるに、〔証拠略〕によれば、被控訴人は、本件事故当時、旭東建材株式会社に自動車運転手として雇われ、日給一、三〇〇円の収入を得ていたが、事故の翌日の昭和四二年七月二九日から昭和四三年三月三一日まで二四七日間、右傷害の治療のため殆んど働くことができなかったので、その間、合計金四万〇、九五〇円の収入を得たのにとどまるから、少くとも合計金二八万〇、一五〇円の得べかりし利益の喪失による財産上の損害を受けたことが認められ、右の認定に反する証拠は存在しない。
また、〔証拠略〕によれば、被控訴人は、昭和四三年四月以降も働けない期間が長く続き、同年五月二五日、旭東建材株式会社を退職のやむなきに至り、精神上多大の打撃を受けたことが認められるが、本件事故の態様、負傷の内容、治療の経過等諸般の事情を斟酌すれば、被控訴人に対する慰藉料の額は、金五〇万円と算定するのが相当である。
ところで、〔証拠略〕を綜合すれば、控訴人岡崎恒夫が、昭和四二年一一月一一日、被控訴人に対し、休業補償および慰藉料として金一七万八、五〇〇円を支払つたこと、被控訴人が、後遺症に対する保険金として、昭和四三年二月一〇日、金七万円、昭和四三年六月頃金一三万円を、それぞれ、受領したことが認められる。
以上認定したところによれば、控訴人岡崎恒夫は、被控訴人に対して、前記財産上の損害額二八万〇、一五〇円および慰藉料額五〇万円合計金七八万〇、一五〇円から被控訴人の前記受領額合計金三七万八、五〇〇円を控除した残額四〇万一、六五〇円の賠償義務のあることが明らかである。
控訴人岡崎恒夫は、本件損害賠償債権については、被控訴人との示談によつて解決ずみである旨主張するので、この点について検討する。
控訴人岡崎恒夫(乙)が、昭和四二年九月一九日、被控訴人(甲)との間で、(一)乙は甲の医療費全額を負担する。その期間は全治迄とする。(二)乙は甲の休業補償および慰藉料として本件事故により休業せる期間一日につき金一、七〇〇円を支払うものとする(全治迄とする)。(三)乙は甲の車輌代替費として金三万五、〇〇〇円を支払うものとする。(四)乙に万一後遺症の発生せる時は、その時点において別途協議する。(五)示談条件(一)及び(二)の自動車損害賠償責任保険の請求は乙にて行うものとする旨の示談が成立したこと、また、昭和四二年一一月一一日、被控訴人と控訴人岡崎恒夫との間で後遺症に関して覚書を取り交したことは、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、右示談書の末尾に「示談が成立しましたので今後本件に関しては双方共裁判上又は裁判外において一切異議、請求の申立てをしないことを誓約します。」との記載がなされているけれども、〔証拠略〕を綜合すれば、昭和四二年九月一九日の示談は、治療費、休業補償および慰藉料を自動車損害賠償責任保険の保険金から支払うことについて行われたものであって、その示談書(甲第七号証)中末尾の前記文言は示談書用紙に当初から印刷されているものであつて、被控訴人はその余の損害賠償請求権を放棄したものではないこと、また、昭和四二年一一月一一日の覚書も、被控訴人が自動車損害賠償責任保険から交付を受けられるものについてのみ合意したものであつて、右保険金で足りない部分を免除する趣旨ではないこと、当時、被控訴人は、治療を継続しており、治療費が嵩んで右示談による保険金で足りなくなつたので、更に、保険金を引き出す名目として後遺症について右覚書を交わし、保険金の支払を受けたことが認められ、原審及び当審証人加藤明久の証言のうち右の認定に反する部分は信用し難く、他に右の認定を左右するに足りる証拠は存在しない。したがつて、被控訴人は、保険金で足りない分の損害金については、右示談の成立とは無関係に別途にこれを請求し得るものというべく、右示談によつて本件事故による損害賠償債権についてすべて解決ずみである旨の控訴人岡崎恒夫の主張は採用し得ない。また、控訴人岡崎恒夫は、本件事故について、被控訴人に道路交通法第三七条第二項の注意義務違反による過失があるとして、過失相殺を主張する。しかしながら、〔証拠略〕によれば、控訴人岡崎が先行車に続いて右折しようとする際、約一八・三メートル前方に直進する被控訴人の対向車を発見しながら、自車が直進車の前を容易に通過して右折することができるものと軽信して進行し、本件事故を招いたことが認められる。右の事実によれば、控訴人岡崎の乗用車が、交差点で、まだ右折しておらず、これから右折しようとする際、被控訴人の単車は、すでに直進していたことがうかがわれるから、道路交通法第三七条第二項による控訴人岡崎の右折車優先の関係ではなく、むしろ、同条第一項による被控訴人の直進車優先の関係にあつて、被控訴人には過失のないことが明らかであるから、同控訴人の右過失相殺の主張は採用し得ない。
そうしてみると、被控訴人の控訴人岡崎恒夫に対する本訴請求は、同控訴人に対して、金四〇万一、六五〇円の支払を求める限度において正当として認容すべきものであり、その余は失当として棄却すべきものである。
次に、控訴人株式会社安芸製作所に対する請求について判断する。控訴人岡崎恒夫が、本件事故当時、控訴会社に雇傭された従業員であることは、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕を綜合すれば、控訴人岡崎恒夫は、控訴会社のブルドーザーの運転手として工事現場での仕事に従事するのが職務であり控訴会社の寮に居住していたこと、控訴人岡崎恒夫は、昭和四二年四月五日頃、本件軽乗用自動車を購入して以来、自宅(寮)から工事現場へ通勤のために右自家用車を使用していたこと、控訴会社は、原則として従業員の寮から工事現場への往復には会社備付の車輌を使用したり、或はバス・電車等を利用させており、例外的に自家用車のある従業員に対しては、自家用車で直接工事現場に行くことやその自家用車に他の従業員が同乗することも、各自の便宜に委せていたこと、控訴会社は、自家用車を利用する者に対し別にガソリン代を支給するようなことはなく、従業員に対し一様に工事現場への乗物代実費を支給していたこと、そして、本件事故が、たまたま、控訴人岡崎恒夫が、終業後、自家用車を運転して広島市井ノ口町の団地の工事現場から自宅(寮)へ帰る途中で発生したものであることが認められ、右の認定を左右するに足りる証拠は他に存在しない。
通常、被用者が自家用車によつて通勤する場合、その途中では、自動車の運行に関しては、使用者の指揮命令による支配を離脱し、被用者の自由な活動範囲に属するものであつて、被用者の通勤のための自家用車の利用行為をもつて使用者のための業務執行とはいえない。本件事故当時も、控訴会社が控訴人岡崎所有の自動車を会社の業務執行に利用していたとみられるような特別の事情は認められず、前記認定の事実関係のもとにおいては、本件自動車の運行支配および運行利益は、ともに控訴人岡崎恒夫に専属し、控訴会社は、右自動車の運行支配および運行利益のいずれをも有していなかつたものと認めるほかなく、したがつて、控訴会社は、本件事故に関し、自動車損害賠償保障法第三条に基づく運行供用者責任を負わないものと解するのが相当である。また、前示控訴人岡崎の自家用車の運転が控訴会社の事業の執行につきなされたものと認め難いことは前記のとおりであるから、控訴会社には民法七一五条による責任はない。
そうしてみると、被控訴人の控訴会社に対する本訴請求は、もはや、その余の点の判断を加えるまでもなく、失当として棄却を免れない。
結局、原判決中以上と異なる部分は相当でないから、本件各控訴(但し、控訴人岡崎恒夫の控訴についてはその一部)は、それぞれ、理由がある。
よつて、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松本冬樹 浜田治 村岡二郎)